手書きはやっぱり凄かった

今から45年ほど前の1978年に出版された、井上ひさし氏の「十二人の手紙」という本を読みました。12の短篇が基本的には手紙形式で構成されていて、ミステリー要素やどんでん返しなんかもあり、今も売れ続けているというのも納得の作品でした。

 

その余韻も冷めない中、最近の芸能ニュースでも “手紙” や “交換日記” といった話題で持ちきりだったこともあり、(やめときゃいいのに)自分自身のそれらの思い出について、何だか振り返ってみたくなりました。

 

早速話はズレますが、プライベートのLINEやメールのやりとりが、誰かによって日本中に拡散されるという当事者になったら、それが無機質なデジタル文字でのやりとりであっても、立ち直るのに相当時間が必要だろうと察しますが、本来なら世界に一つだけ存在するはずの、アナログの真骨頂である、恋文という名の手書きの手紙や交換日記が、不特定多数にさらされるのは想像を絶するキツさではないかと思います。

 

ところで皆さんは、最近手紙を書いていますか?

文字を書く機会さえ、意識しないと発生しないような現在の生活において、手書きで思いを綴って封筒に収め、手渡しもしくは切手を貼ってポストに投函するという行為は、もはや私の中ではかなりハードルの高いものになりつつあります。

 

ハガキやメッセージカードも何とも言えない温かみがありますが、あの何枚かの便せんが収まって膨らんだ、切手の貼られた封筒を開ける瞬間というのは、カメラのフィルムを現像に出して、写真になって戻ってきた時の封を開ける瞬間と同じくらい、ワクワク、ドキドキ、そしてゾクゾクしたものです。

 

中でも “海外文通” というロマンチックな昭和感あふれるクラブにも所属していた中学時代、初めての国際郵便がアメリカから届いた時は、踊り狂ったことを覚えています。

数年後に電子メールという文明の利器が爆発的に普及することなど、その頃の私はもちろん知る由もなく、“たった7日” でアメリカに手紙が届くようになった便利な社会に心から感謝をし、海を渡って自分の元にきてくれた尊い手紙を部屋に飾って崇めていた私・・・かわいかったと思います。笑

 

先日、過去にもらった “紙関係” を全て納めてあるパンドラ…じゃなくてお菓子の空き箱を、何十年ぶりかで開けてしまいました。開けた瞬間から漂ってくる匂いに何ともいえない哀愁を感じ、様々な筆跡やかわいい封筒の数々に強烈な懐かしさを感じました。

 

特に思春期と反抗期の見本になれそうだった時代に交わした手紙を(やめときゃいいのに)読み返してみると、忘れていた記憶が次々に蘇ってきて、自分が書き送ったであろう内容まで掘り起こされ・・・額に汗がにじんでくるのを感じました。

 

そして視界に入れないようにしていた一冊のノートを(やめときゃいいのに)とうとう手にとってしまい、最初のページを恐る恐る開いた瞬間、今度は全身から汗が噴き出してきて、自分でもよくわからない悲鳴を発しながら、一瞬で箱ごと閉じてしまいました。

 

好きだった男子と、秘密裏に交わしていた青春真っただ中の “交換日記” を、いつの日か平常心で読み返せる日がやってくるのでしょうか・・・笑

この日記が500年後くらいに発見されたら “平成の純情日記” として、 “更級日記” や “土佐日記” みたいな貴重な歴史書になるかもしれない!!

 

わけがないので、この世を去る前には何とか処理しておかなくては!と強く心に誓うとともに、 “手書きの文字が発する威力は凄いな” と、妙に納得してしまう私なのでした。