記憶力の神秘

タオルケットをお腹にかけられ、真剣な眼差しで写っている生後2ヶ月の赤ちゃんの写真を見て、

「この時のこと、はっきり覚えてるんだよね~」

と初めて告白したのは幼稚園の頃だったと思います。素っ裸で寝かされている私に、母がタオルケットをぽんっとお腹にかけてくれた時の感触や、今とは別人のような優しい口調と笑顔で、カメラを構えてだんだんと後ずさっていくその姿を、今でも記憶しているんです!と言ったところで、なかなか信じてもらえません。

 

実際、人生最初の記憶になるのは2-3歳のときに起こった出来事の可能性が高いと言われているそうですし、それ未満にあった出来事は、脳が発達途中のためにうまく記憶できなかったり、記憶されてもうまく呼び出せなかったりするというのが定説のようです。おまけに脳は記憶のすり替えが得意とも言いますし・・・確かに私も、この瞬間以外の2歳くらいまでの記憶は、どれだけ写真を見返しても蘇りません。

 

それはそうと、お盆休みに小学校の同級生の女子5人で約30年ぶりに会いました。久々なんてもんじゃないぶりの再会ということもあって、日付が変わる頃までしゃべり倒したわけですが、子供時代を知る貴重なメンバーならではの醍醐味は、記憶力のフル活用にある気がします。

 

自分のクラスや担任も全く覚えていない人もいれば、他人の分まで覚えている強者までいたり、先生に怒られた話なんかを先週の出来事みたいなテンションで話せる人もいれば、そんな先生いたっけ~?レベルも。

 

そして面白いのが、突かれなければ一生引っ張り出される事はなかったであろう、1ナノグラムくらいのわずかな記憶が、誰かのトークによって鮮やかに蘇ってきたりすると、ひいては脳の神秘さえ感じてしまうのは私だけでしょうか。まぁこれは恥ずかしい記憶なんかにもあてはまるので、ある意味リスキーではありますが。

 

ちなみに脳のMRI検査を受けて異常が無かった話を、2月にこのブログで書いたのですが、実はその時に先生から、異常は無いけれど敢えて何か言うとしたら…と、画像のとある部分を指さしながら意味深に告げられたのでした。

「通常は赤ちゃんの時に消えるはずの線が、2,3本残っているのが不思議で、かなり珍しい」と。

 

勘のいい皆さん。そうなんです! 笑

この線こそが他でもなく、あの赤ちゃんの瞬間記憶が残っている証拠にちがいないっ!! と、もはやめちゃくちゃな思考回路で確信してしまったのは言うまでもありません。

 

 

ファンである作家の朝井リョウさんが、さくらももこさんのファンだと知り、ファンのファンである人の本はぜひ読んでおかなければっ!との思いから手にしたエッセイ「おんぶにだっこ」。

 

幼少期のエッセイなのですが、さくらさんは何と2歳半の頃の記憶から鮮明にあるとのことで、当時の心理描写はもちろん、温度や匂い、家具の配置に至るまで、その詳細な描写に驚かされます。

そしてさくらさん=ちびまる子ちゃんということで、自虐とユーモアあふれる、ぷぷっと笑える明るいイメージを想像して読み始めたのですが、想定外の暗くて切ない内容に、ちょっと狼狽えてしまいました。

 

私は幼い頃、毎日なんらかの不安を抱え、傷つき、悩み、苦しんでいた。心から晴れ晴れとした日など一日もなかった。

いくらふざけて笑っている時でも、心のどこかに暗い部分があった。大人に相談しないまま、黙って悩んでいる事も多かったし、相談してもどうせ解決しないだろうと思って黙っている事も多かった。 

出典:さくらももこ「おんぶにだっこ」 あとがきより

 

思えばちびまる子ちゃんからも、人の心や日常の出来事の機微に触れる描写から、彼女の感受性と表現力の凄みを感じますが、その根底にはずば抜けた記憶力と、一見らしくない暗く鬱屈した幼少期があったのだということを初めて知りました。

 

描かれているエピソード自体は、決して特別なものではなくて、むしろ多くの人が同時期に経験するような、祖父母の死であったり、友達へのちょっとした悪意、決して悪い関係性ではない家族内での孤独だったりするわけですが、そこに人生の機微みたいなものを感じ取る驚異的な感性と記憶力が合わさると、大人になってもここまで暗い影を落とし続けるものなのか・・・などと思わずにはいられない複雑な内容でした。

 

読んだ感想を言葉で伝えるのがこれほど難しい本は初めてかも。なんて思ってしまった作品でしたが、“何を提供したいのか自分でもよくわからない” と、困惑した創作中のさくらさんご本人にかけた、編集者の方の言葉が全てを物語っているのかもしれません。

『言葉で表現しにくい大きな何かを与える作品です。本当に大切な物を今回の作品は含んでいると思いますから、このまま続けて書いて下さい』