恐怖政治の末路やいかに

お盆休みに小学校の同級生4人と久々の再会をしてしゃべり倒し、各々の記憶力の良し悪しが面白かった話を前々回のブログでしたのですが、その時に30年以上前のとある事件?について、怒りをぶちまけたTさんの剣幕がけっこうな衝撃でした。

 

今なら絶対アウトでしょレベルの暴言や無視、そして体罰も当たり前みたいな教師達が少なからず幅を利かせていて、運悪くそんな人が担任になると恐怖政治が敷かれた一年を過ごすことになるマンモス小学校だったのですが、S教師はその中でも突出した暴君でした。

皆さんS教師のことを、竹刀を持ったいかつい男性をイメージされたかもしれませんが、大間違いですよ! 30歳くらいの長身でルックスにも恵まれた女性教師なのだということをお忘れなく。

 

小学5年生の時、担任がS教師になってしまったTさんのさらなる悲劇は、学級委員になったことでした。ある日の朝礼で女子の態度が悪いとかいうイチャモンをつけられ、女子全員を前に立たせて一人ずつビンタをし、今日は授業をやってやらない!と怒鳴って職員室へ戻ってしまったそうです。まだ幼気な女子だったTさんは、何とかして先生の機嫌を直して授業を始めてもらおうと、クラスを代表して謝るために職員室へと向かいました。

 

職員室で自席に座るS教師に必死に謝り続けるも無視され、いよいよ追いつめられたTさんは、なんと発作的に “土下座をして” どうか許して下さい! と叫び続けたそうです。

 

床に頭をこすりつけて謝り続けるTさんを見かねた他の教師が、止めに入ったことで事なきを得た?かと思いきや、その日は女子だけが一日中、全員椅子の上で正座をして授業を受けさせられた…という話を、まるで先週の出来事みたいなテンションで話してくれたTさんの目は、怒りとともに少し潤んでいるようにも見えました。

 

半沢直樹が一世を風靡する何十年も前に、リアルに土下座を実践したTさんは、当時11歳にして体重が激減し、毎朝吐いてから登校していたそうです。ちなみに私もなぜか担任でもないS教師に脇腹を蹴られた記憶があります笑。

 

良いか悪いかは別として、子供の頃は色々な人からひっぱたかれたような気がしますが、その殆どの記憶がおぼろげな中で、納得がいかなかった理不尽な仕打ち的なものについては、自分でも怖いくらいに覚えていたりするのは、人間のさがなのでしょうか。

 

実際私も、土下座まではいかなくても、やはり学級委員だからとか班長だからとかいう理由で、代表して怒鳴られたり叩かれたりした理不尽な痛みの感覚が、記憶の片隅にひっそりとはりついていて、なかなか剥がれてくれません。

 

また授業中に指されて、答えられなかったり間違えたりすると、床に正座させられたり、暴言を吐かれたり…といった教師の緊迫感あふれる授業を一時期経験したことで、今でも講座等で指名されたりすると、間違えたら正座?という発想がほんの一瞬ですが頭をよぎったりします。例えこちらが恐縮するぐらい、腰が低くて優しい講師が相手だとしても。

 

2-30代にかけて、カナダの学校に通ったり様々な国を旅して、沢山の人たちと出会ったり語ったり…といった自分なりの異文化交流をしてきたつもりですが、その動機の5%くらいに、子供時代に築いてしまった負の条件反射的感覚を克服したい、というような潜在的な願望があったのかもしれません。

 

ちなみにS教師は、相変わらずの恐怖政治をその後も20年近く続けたそうですが、とある赴任先の中学校で、生徒からボコボコにされて退職に追い込まれたそうです。

 

 

芥川賞作家の津村記久子さんのエッセイ「くよくよマネジメント」を読むと、パワハラをはじめ、数々の人間関係にご自身が非常に苦しめられてきたというのが、ひしひしと伝わってきます。

 

中でも子供の頃から感じ続けてきた負の感情的なものを “自分の中の子供”と表現し、決して他人にそれらを押し付けることはせず、うまく共生していくしかないと分析するまでに至った思考回路が見事でした。

 

決して何か解決策が得られたり、霧が晴れるような爽快な内容ではないのですが、もがき苦しむ中で相手の心理を必死に分析しながら、自身を立て直してきた人ならではの説得力ある思考は、一読の価値があります。

 

子供の頃の記憶は常に自分の中に石のようにあって、今がよければすべてよし、というわけにもいかないことを、ときどき不思議に感じます。今のわたしのいろいろな行動やものの感じ方に、子供の頃の自分の立場が影響しています。(中略)

実際、子供の頃の経験というのはとても大切なのですが、けれどもそれがすべてなのでしょうか?心の奥底からやってくるその子供を、今の自分の力でなだめたり、説得したり、優しくしてやったりはできないのでしょうか?

 

自分の中の子供は、自分で面倒を見るしかないのです。

 

もう一度子供には戻れない以上、泣き喚く子供、不平不満で爆発しそうな子供は常に自分とともにいて、それはもう仕方のないことです。自分がその子と仲良くしてあげられなければ、いったい誰が仲良くしてあげられるのでしょうか。

 

出典:津村記久子 くよくよマネジメント