今昔ブラック校則物語

WBCロスがなかなか止まらずに困っています。

大谷選手を筆頭に侍ジャパンのチーム全員がもれなく魅力的だったのは周知の事実ですが、その中でもダルビッシュ投手の人格者ぶりに何だかものすごく感動してしまいました。メジャーリーグに行く前の、少しとがった近寄りがたいオーラを纏った印象で私の中ではストップしていたこともあり、今回の後輩たちに見せていた優しさあふれる行動や柔和なまなざしに、完全ノックアウトでした。笑

 

中でも会見で、新しい野球の世界観を見たような気がする…という記者の質問に対する

「それは狙っていましたね。最初から上下関係がどうとか、気を遣うとかそういうことじゃなく、みんな野球をするために集まっているので、そういういらない気遣いとか、そういうのはなるべくとっぱらって、なるべく楽しむようにみんなでやったと思います。」

というコメントがとても印象的でした。

そしてこんな清々しいコメントの後で大変恐縮なのですが・・・

皆さんは、ブラック校則の体験者ですか?笑

 

80~90年代の管理教育全盛期に多感な時代を過ごした私ですが、定番の髪の毛やスカートの長さに関するような校則はもちろん、今では撲滅しつつある、運動部の練習中の水飲みや真冬の上着禁止等、殺人的な規則も多々残っていました。

 

そして通っていた公立中学で、当時学校一厳しいと言われていたバレーボール部(通称女バレ)に入ってしまったことで、さらなる部活内ルール?に縛られることになりました。

“練習着の上着の袖は、暑くても3年生(引退後は2年生)しかめくってはいけない” “先輩の試合を見る時は、腕を後ろで組んではいけない” みたいな不可解な規則が山のように存在し、それを2年生が1年生に代々教育していくというもので、1年生が守れないと教育係である2年生が、“神”である3年生から呼び出されて泣かされる・・・という、今考えると恐ろしい負のスパイラルシステムが構築されていました。

 

そんなストレス社会を生き抜いていた私も何とか2年生になり、新3年生から新2年生に早速呼び出しがかかりました。進級早々いびられるのかと、普段は入れてもらえない部室に入って秒で正座をしかけた私たちに、先輩方から “正座じゃなくて体育座りで大丈夫だよ”との優しい声が。

続いて、 “自分たちは散々泣かされてきたけれど、こういう理不尽な思いは、下の代にはしてほしくないから、私たちは変な規則の強制とか、呼び出しとかはしないって決めたから” との想定外すぎる言葉。

 

チャンカワイさんが「惚れてまうやろー!」のギャグを生み出したのは、きっとこんな瞬間だったのではないかと察します。

 

ちなみに(練習も規則も厳しかったくせに)弱小校だった我が女バレは、この先輩方の代と、それをしっかり受け継いだ私たちの代のみ市内でベスト3に入る強豪校へと成長し、その後はまた衰退していったと風の噂で聞きました・・・笑

 

こういった理不尽さは、現在でも学校や社会に出てからの組織、さらには嫁姑関係にいたるまで、日本のそこら中に蔓延しているような気もしますが、ただ年少者というだけで被った理不尽な辛さや屈辱みたいなものを、立場が変わった瞬間、ここぞとばかりに新人へとなすりつけることで優越感を抱く人も多々いる中で、“自分の代で止める” という方向へ動ける人は、その精神的な成熟が、惚れ惚れするほどカッコよくうつります。

 

先のダルビッシュ投手のコメントを聞いた時に、次元が違いすぎるとはいえ、はるか昔に人生で初めて遭遇した14、5歳の少女だった偉大な先輩方のことを思い出したのでした。

 

侍ジャパンのメンバーは、すでに一人一人が自律心の塊のスター軍団であるというのも大きいと思いますが、世界一の結果に加えて、試合終了後にゴミ一つ残っていないベンチや、シャンパンファイトの後でさえ空ビンがどこにも落ちていない様まで見せられると、今回の栗山監督やダルビッシュ投手のリーダーぶりが、今後の組織やチームのあり方に大きな影響を与えるような気がしてなりません。

 

そして今回ご紹介したいのは、ブラック校則が無くなるどころか、現在も背景を変えて子供たちを苦しめ続けているという現状が書かれている本です。

男子の髪型でツーブロック禁止というのも驚きですが、下着は白以外不可とか、生まれつきの茶色い髪でも黒に染め続けなければいけない…とか、ありとあらゆるブラック校則の存在に、気分は・・・悪くなります。笑