モヤモヤと健康の味を考える

長年人間をしていると、人生とは “心身をいかに健全に保つことができるか” というゲームなのではないかと思うことがあります。

 

例えば、前日の夜は絶好調…とまではいかなくても、体調もまぁまぁいい感じな流れで   “よしっ!明日は好きなあの本を読んで、気になっていた映画を観て、筋トレでもバリバリやろっかな!!”  なんてポジティブマインドで布団に入ったにも関わらず、翌朝目が覚めた瞬間から、めまいと吐き気の絶不調に襲われ、何一つ実現できないどころか、夕方まで寝て過ごして自己嫌悪に陥った・・・というのは先週末の私のことです。

 

前日までの、そこそこ元気な体と、それに付随したポジティブな気持ちなんぞ一瞬でどこかへ消え去り、活字なんて見たくもないし、映画なんてど~でもいいし、筋トレどころか起き上がりたくもないし…といった、これまた絶不調な体にぴったりのネガティブマインドが、ピタッとくっついて来るという負のスパイラルが、忘れた頃にやってくるのは天罰なのでしょうか。

 

本当だったら読書を楽しんでいたはずの時間を使って、めまいに関する説明文を読んで気が沈み。

映画を観て余韻に浸っていたはずの時間を使って、“耳石を動かす方法” などというシュールな動画をくらくらしながら視聴し。。

筋トレをして心身スッキリ爽快になっていたはずの時間を使って、布団の上で不思議な動きを繰り返しながら、効果を感じてホッとする。。。

といった、当初の楽しい予定とは大きくかけ離れた一日を過ごしたりすると、“心身の状態をそこそこに保ち続けることは、人生の最重要課題なのではないか” などと、毎回こりずに痛感させられるという始末。

 

そして南伸坊氏が著書の中で語っていた、「健康の味」についての数々の名言を思い出しては、自らを戒めはじめる自分がいます。笑

 

健康の味とはつまり、ありがた味のことである

健康の時に味わえず、健康の損なわれた時にはじめて味わえる

 

健康の味は、健康が損なわれて、そして回復できた、

ほんの短い期間にのみ味わえる味である

健康が常識になった時、人はすみやかにその味を忘れてしまう

 

健康の味とは、

生きている味わいかもしれない

 

健康の味は喉越しの味かもしれない

喉元をすぎれば忘れてしまう

 

出典:南伸坊「健康の味」

 

ところで、リアルの世界でもブログの世界でも、趣味として旅行や音楽といった無難どころをあげている私ではありますが、ずっと黙っていた趣味があります。

それは 「モヤモヤすること」笑

 

どうして突然こんな告白をしたくなったのかと言うと、決して耳石が動いて何かがおかしくなったからではなくて、先日NHKで放送されていたクローズアップ現代を観たからなんです。

 

『 迷って悩んでいいんです 注目される“モヤモヤする力”』

と題して放送されていた番組の内容が、面白すぎて意表を突かれました。すぐに解決できない事態に結論を急がず、答えのない状況に耐え迷うモヤモヤ力が、時に新しいアイデアを生み出す創造性につながることがわかってきて、既にビジネスや教育、医療現場で活用が進んでいる実態が映されていて、AIの活用やタイパといった効率重視の時代に真逆の概念として注目されているとのことでした。

 

このブログでも“モヤモヤ”のカテゴリを作ってしまうくらい身近で、これまで多くの時間を費やしてしまったという罪悪感すらあった身としては、これらが時間の無駄ではなく、ひょっとしたらとんでもない可能性を秘めているかもしれない貴重な時間なのだと言われたようで、案外悪くない趣味なのかもしれない!などと、何とか自己肯定感を上げにかかっている私なのでした笑。