死別から立ち直りたい

生老病死は、人生において誰もが免れることができない四つの苦悩であり、そして人間の致死率は100%であることも、頭の中では昔も今も理解しているつもりです。

 

重たい書き出しになってしまいましたが、以前から時々ふれている父親との死別から1年半近く経った今も、なかなか立ち直ることが難しく、まさに一進一退といった境地にいます。

 

きっとこんな感情の起伏を何年かかけて繰り返していきながら、自分の中で完全に立ち直ることができるのだろうと、焦らず、でも腐らずに、時の流れに身をまかせて(懐メロか…笑)いくしかないと日々言い聞かせています。

 

 

作家の吉本ばななさんは、ご両親を相次いで亡くされた後の大変な喪失感について、様々な作品でふれていらっしゃいます。特に、詩人で評論家でいらした父親の吉本隆明さんが、非常に辛い終末期を経験されたことに対して感じた苦悩などは、他人事とは思えずとても共感しました。

 

ばななさんが辛い日々を送っていた時、信頼するおふたりの友人から、全く同じことを言われたという以下のメッセージは、温かいうえに希望をもらえます。

 

「今はほんとうにつらいと思うけれど、あるときから、亡くなった人と自分はほんとうに共に生きているとわかるようになる。実感としてここにいる、と思うようになる。自分の中にいるという感覚に近い。それでほんとうに納得することができるし、実際に会えない淋しさがなくなることはないが、あまりにも今いっしょに、思い出とかではなくまさにここにいる感じがするから淋しくなくなる。時間がたてばたつほど、共に生きているということが理屈ではなくわかるようになるもんなんだ」

 

出典:よしもとばなな 小さな幸せ46こ

 

そして、傷心のばななさんがこのメッセージを心底実感することができたのが、悲しみに襲われる方の不安を抱えながらも、幼少期からの家族の思い出がつまった旅館を、おそるおそる久々に訪れた時だったそうです。

 

思い過ごしの類いでもなく、そうであってほしいというものでもなく、身体感覚として生々しく感じられた。

 ああ、そうか、このことだったのか、あの人たちが言っていたのは。

 と、やっとほんとうに理解できるようになった。(中略)

みんなうまく言い表せないだけでたいていの人が感じている感覚なのだとしたら、すばらしいと思った。流れの中に救いはたくさん用意されているのだ。

 

近い将来、必ず私にも実感できる時が来ると信じて、毎日を生きています。

皆さんは、流れの中にある救いを感じたことがありますか?