芸術と出会いのタイミングについて

「仏像って、官能的でさえあるんですよ」

以前に秘書として働いていた時、当時65歳だった上司に言われた今でも忘れられない言葉です。

(ぶ、ぶつぞうって…しかも官能的って、、、!?)

そんな心の声がバレてしまったのか、

「まぁでもその若さじゃぁ、まだこの意味は理解できんだろうなぁ・・・・はっはっは」

 

出張の先々で、時間を作っては仏像を見て回っていた上司の感性が、当時の私にはなかなか理解しがたい気持ちもあった一方で、

“あなたにはまだわからんだろうなぁ”

という、知的好奇心を強烈にくすぐられる言葉のせい…じゃなくておかげで、すぐに仏女に…とまではいきませんでしたが(笑)、それまで全く眼中になかった仏像展等に、ちょくちょく足を運ぶようになりました。

 

あれから年月が経ち、沢山の本を読み、そして自宅に仏壇ができた今でも、まだあの時の感覚を消化しきれてはいない私ではありますが、ほんの少し、扉のカギが開きかけたような、そんな新しい感覚がどうにか芽生えつつある気がしています。

 

こういう宗教的なものや芸術作品なんかも、個々人によって出会うタイミングというものがあって、それが一般的にどんなに評価されている作品であっても、鑑賞する人が “その時” でない場合は、大きな感動や影響を得られないと聞いたことがあります。

 

私にとってのベストタイミングは、もう少し先なのかもしれませんが、一つのきっかけをくれた上司には今でも感謝しています。

 

 

脚本家というイメージが強い山田太一さんでしたが、今回初めて小説「空也上人がいた」を読んでみて、その独特な世界観と感性に惹かれるものがありました。

 

題名からすると仏教的なお話を想像するのですが、中身のほとんどが介護の現場で繰り広げられる、ヘルパーと老人とケアマネの風変わりな恋愛という独特なものでした。

ただし全員が人に言えない重荷を背負っていて、キーとなる空也上人像から受ける、それぞれの思いを読んだときに、先の上司との会話を思い出したのでした。

あっという間に読めるボリュームではありますが、内容はかなりの重量感がある小説です。