ユーモアは世界を救う⁉

『ユーモアのある人が好きです』

博多華丸大吉さんの漫才みたいな始まりになってしまいましたが(笑)、ここ数年でしょうか・・・老若男女問わず、この人好きだなぁと思った人の共通点が、この “ユーモアのセンス” がとても素敵な人達だったような気がします。

 

まぁこのセンスというのも、何をもってセンスというかはやっぱり千差万別というか、十人十色というのが、難しくも面白いところであり、何にでも言えるのかもしれませんが、その ”ツボ” が合うかどうかというのは、人間関係において何気にカギになるのかもしれません。

 

以前に「笑いの凄まじさを実感」の記事でも書きましたが、一時 “ルミネtheよしもと” にはまった人間の経験からすると(笑)、ある漫才のツボがいまいちわからなくて戸惑っている隣で、涙を流しながら笑っている人がいたり、その逆もよくある話で……

 

そんな厳しい状況下であっても、よく例えられる「どか~ん」と会場全体が渦のような笑いで波打つような、芸人さんも観客も一体になってゾーンに入ってしまうような、いわゆる神回を作り上げてしまう芸人さんもいるわけで・・・

 

色々な意味で多様化が進みつつある近年で、万人に通じるセンスを磨くというのは、実はものすごく繊細で、難しいことなのかもしれません。

 

様々な皆さんのブログを読むようになって、ユーモアあふれる文章からは、その方の聡明さが伝わってくるのはもちろん、きわどさやブラック感満載のユーモアからもまた、言いたいことが手に取るように伝わってきたりして、その洞察力や表現力に感服しながら毎回ニヤニヤ顔で拝読しています。

 

あのアウシュビッツから生還したV・E・フランクル氏は、著書の「夜と霧」の中で

 ”ユーモアもまた自己維持のための闘いにおける心の武器である”

と語っていますが、想像を絶する地獄のような状況下でも、ジョークを言いあったり、ユーモアを忘れずにいた人が、屈強な人や我慢強い人よりも、生き残ることができたという、衝撃の事実を知ってからというもの、たかがユーモア…とはとても言えなくなりました。

 

以来、ハリウッドのド派手なアクション映画の絶体絶命の状況で、主人公がジョークをかっとばすシーンなんかを見ると、“こりゃ生き残る強者だな” と、リアリティすら感じるようになり、“そんなあほな・・・” と、いかにもフィクションを感じていた過去の自分が、今では恥ずかしい限りです。笑

 

世界では戦争が起きていたり、日本でも災害や事故に巻き込まれる可能性は誰にでもあることを考えると、ひょっとしたらこんなところにも、生き抜くヒントがあるのかもしれません。

 

そしてこの名言の真の意味が、少しわかったような気がします。

「ユーモアの源泉は歓びにあるのではなく、悲しみにある」 マーク・トウェイン