親孝行をするということ。

皆さんは親孝行ってどんなイメージがありますか?

 

お金を援助する、食事をごちそうする、プレゼントを贈る、元気な顔をみせる…あるいは結婚することや孫の顔を見せること、なんていう方もいらっしゃるかもしれません。

まさに正解も不正解もない、100人いたら100通りの親孝行の形があると思います。

 

かく言う私は『初めて』の感情をできる限りたくさん味わってもらうことを大切にしてきたように思います。家の両親の場合、何をするにも二人一緒に楽しんでいたのですが、何しろ最初の一歩が重く、自分たちで新しい世界を切り開くことに消極的な反面、二回目からは嘘みたいに積極的に楽しみ始める…みたいな人たちでしたので。

 

スマホカラオケコンテンツといった日常の楽しみから、ちょっと洒落たレストランや海外旅行に至るまで、最初の一歩をアシストし続けた結果、父が退職して10年程の間、夫婦で(時々私も一緒に)とても刺激的で楽しい日々を過ごせたのではないか…とちょっとだけ自負しております。笑

 

しかしながら…美談⁉などと一言では片づけられないのが “旅行 ”の類ではないでしょうか。

これについては恐らく瞬時に、そうそう!って同意して下さる方と 、意味が分かりません…。という幸せな方と、真っ二つに分かれるかもしれません。実際、私の友人達の間でも、もう懲りた!一生行かない!!などと宣言している人もいれば、羨ましいほど仲良く楽しんだ人もいます。

 

そしてやはりというべきか、過去に読んだ数々の、特に女性作家さん達のエッセイに、必ずと言っていいほど親(主に母親)との旅行話が登場するのですが、こちらについては、もれなくどなたも、もう二度と行くもんか!とか、殺さずに帰ってきたあなたはそれだけで偉い(笑)!みたいなほろ苦さが描かれていて、苦笑しながらもちょっぴり救われたりしていました。

 

そんなほろ苦い思い出さえも、父が死んでしまった今となってはたまらなく愛しく、懐かしい気持ちでいっぱいになります。どれだけ文句を言ってくれてもいいから、もう一度、一緒に行きたいです。たまらなく行きたいです。そして会いたいです。

 

角田光代さんの『しあわせのねだん』は、お金を通して様々な疑問を投げかける、面白い角度からのエッセイ本ですが、生前のお母様と行かれた旅行に関するくだりが好きなので、ご紹介したいと思います。

 

皆さんは親孝行が、まだ可能ですか?

 

親と子の立場はいつか逆転して、おんなじことをなぞる。かつて母がそうしたように、生活の合間をぬってここぞと思う旅先を捜し宿を捜し、無力・無意志状態になっている親に切符を握らせ正しい座席に案内し、宿へと引率していく。

 旅先の私のわがままに、母もたしかに幾度もぶち切れたことだろう。(中略)だから親を旅行に連れていく子どもも、存分にぶち切れていいのである。役まわりの交代なのだから。

 私が自分にとって幸福だと思うことのなかに、それがある。役まわりを交代できたこと。母がしてくれたそのことを、私もすることができ、私に許されていたそのことを、母にも許すことができたこと。 

                                                                 出典:角田光代 しあわせのねだん