うなぎに倚りかかる

前回のブログで、体が不調に陥るとネガティブマインドがもれなく付いてきて、きまって “健康の味” について考えさせられることになる…というお話をしたのですが、不調でなくてもそれを痛感するシチュエーションがもう一つあります。

それは「定期検診で順番を待っている病院の待合室」

 

30歳を過ぎた頃から、何となく歯科と婦人科には定期的に通って事なきを得てきたのですが、今年に入って眼科が正式に仲間入りしてしまいました。

15年ぶりくらいにめがねを作り替えに行ったことが全ての始まりで、緑内障や脳疾患の疑いから紆余曲折を経て、先天性だと診断された話は2月のブログでドラマ仕立てに書いたのですが、加齢とともに眼の病気のリスクが上がるのは事実なわけで、結局、定期検診という名の眼科通いが追加され、昨日しぶしぶ行って来たのでした。

 

私にとって病院の待合室での時間というのは、当然明るいわけがない周囲の空気にのまれるせいか、“最悪の結果になったらどうしよう” 的なスーパーネガティブどうしよう星人が必ず現れることになります。

そこに、 “獅子座のあなたはライオンハートを持っているではありませんか!” などと、絶妙のタイミングで獅子座星人が入ってきて、星座占いを頼みにチキンハートをもみ消しにかかる…という恒例の一人やりとりが佳境に入ったところで、名前を呼ばれる・・・というのが定番なのですが 笑、昨日は混んでいてなかなか呼ばれませんでした。

 

そうなると、”アンミカさんならこんな時も超ポジティブマインドでいられるんだろうか…” などと新たに考え始めてしまい 、いよいよヤバくなってきたところで、突如として聞こえてきたのが「そうだ うなぎ、行こう。」という天(=たぶん私)の声。そしてやっと名前を呼ばれた声。

 

おかげで頭の中は、「うな丼の特上を頼んじゃおうかな。。いやいやそれなら並を2回食べた方がいいよな。。」などと検査の直前まで鰻一色になり、気のせいか調子よく集中して憂鬱だった視野検査を受けることができ、“上手にできてますね~!” などと褒められて途中ニヤけてしまいました。

 

結果、今後は半年から年一の検査でよくなるというタナボタ感を味わい、近所に移転してきた、超絶安くて美味しい鰻屋さんのうな丼(並)を二日連続で味わい、そしてもちろん健康の味も味わう・・・という美味三昧の週末を過ごすことができました。

 

 

 

起こってもいないことにビクビクして恐れを抱き、時にうなぎに倚りかかってメンタルをコントロールしている自分を思う時、真のライオンハートを持つ人に尊敬の念を抱いてしまうわけですが、詩人でエッセイストでいらした茨木のり子さんが、73歳の時に出された詩集「倚りかからず」を読むと、彼女はそんな心の持ち主だったのではないかと思わされます。

 

若くして戦争や近親者の死といった壮絶な体験をしたことが、数々の作品で滲み出る強さや負けん気、怒りや国への不信感といった感情に影響を与えているのが伝わってきます。

そしてこんな境地に達した人の目に、世界はどんな風に見えていたのだろうか? などと思わずにはいられなくなるのでした。

 

もはや

できあいの思想には倚りかかりたくない

もはや

できあいの宗教には倚りかかりたくない

もはや

できあいの学問には倚りかかりたくない

もはや

いかなる権威にも倚りかかりたくはない

ながく生きて

心底学んだのはそれぐらい

じぶんの耳目

じぶんの二本足のみで立っていて

なに不都合のことやある

倚りかかるとすれば

それは

椅子の背もたれだけ

 

出典:茨木のり子「倚りかからず」より

 

 

モヤモヤと健康の味を考える

長年人間をしていると、人生とは “心身をいかに健全に保つことができるか” というゲームなのではないかと思うことがあります。

 

例えば、前日の夜は絶好調…とまではいかなくても、体調もまぁまぁいい感じな流れで   “よしっ!明日は好きなあの本を読んで、気になっていた映画を観て、筋トレでもバリバリやろっかな!!”  なんてポジティブマインドで布団に入ったにも関わらず、翌朝目が覚めた瞬間から、めまいと吐き気の絶不調に襲われ、何一つ実現できないどころか、夕方まで寝て過ごして自己嫌悪に陥った・・・というのは先週末の私のことです。

 

前日までの、そこそこ元気な体と、それに付随したポジティブな気持ちなんぞ一瞬でどこかへ消え去り、活字なんて見たくもないし、映画なんてど~でもいいし、筋トレどころか起き上がりたくもないし…といった、これまた絶不調な体にぴったりのネガティブマインドが、ピタッとくっついて来るという負のスパイラルが、忘れた頃にやってくるのは天罰なのでしょうか。

 

本当だったら読書を楽しんでいたはずの時間を使って、めまいに関する説明文を読んで気が沈み。

映画を観て余韻に浸っていたはずの時間を使って、“耳石を動かす方法” などというシュールな動画をくらくらしながら視聴し。。

筋トレをして心身スッキリ爽快になっていたはずの時間を使って、布団の上で不思議な動きを繰り返しながら、効果を感じてホッとする。。。

といった、当初の楽しい予定とは大きくかけ離れた一日を過ごしたりすると、“心身の状態をそこそこに保ち続けることは、人生の最重要課題なのではないか” などと、毎回こりずに痛感させられるという始末。

 

そして南伸坊氏が著書の中で語っていた、「健康の味」についての数々の名言を思い出しては、自らを戒めはじめる自分がいます。笑

 

健康の味とはつまり、ありがた味のことである

健康の時に味わえず、健康の損なわれた時にはじめて味わえる

 

健康の味は、健康が損なわれて、そして回復できた、

ほんの短い期間にのみ味わえる味である

健康が常識になった時、人はすみやかにその味を忘れてしまう

 

健康の味とは、

生きている味わいかもしれない

 

健康の味は喉越しの味かもしれない

喉元をすぎれば忘れてしまう

 

出典:南伸坊「健康の味」

 

ところで、リアルの世界でもブログの世界でも、趣味として旅行や音楽といった無難どころをあげている私ではありますが、ずっと黙っていた趣味があります。

それは 「モヤモヤすること」笑

 

どうして突然こんな告白をしたくなったのかと言うと、決して耳石が動いて何かがおかしくなったからではなくて、先日NHKで放送されていたクローズアップ現代を観たからなんです。

 

『 迷って悩んでいいんです 注目される“モヤモヤする力”』

と題して放送されていた番組の内容が、面白すぎて意表を突かれました。すぐに解決できない事態に結論を急がず、答えのない状況に耐え迷うモヤモヤ力が、時に新しいアイデアを生み出す創造性につながることがわかってきて、既にビジネスや教育、医療現場で活用が進んでいる実態が映されていて、AIの活用やタイパといった効率重視の時代に真逆の概念として注目されているとのことでした。

 

このブログでも“モヤモヤ”のカテゴリを作ってしまうくらい身近で、これまで多くの時間を費やしてしまったという罪悪感すらあった身としては、これらが時間の無駄ではなく、ひょっとしたらとんでもない可能性を秘めているかもしれない貴重な時間なのだと言われたようで、案外悪くない趣味なのかもしれない!などと、何とか自己肯定感を上げにかかっている私なのでした笑。

 

 

 

恐怖政治の末路やいかに

お盆休みに小学校の同級生4人と久々の再会をしてしゃべり倒し、各々の記憶力の良し悪しが面白かった話を前々回のブログでしたのですが、その時に30年以上前のとある事件?について、怒りをぶちまけたTさんの剣幕がけっこうな衝撃でした。

 

今なら絶対アウトでしょレベルの暴言や無視、そして体罰も当たり前みたいな教師達が少なからず幅を利かせていて、運悪くそんな人が担任になると恐怖政治が敷かれた一年を過ごすことになるマンモス小学校だったのですが、S教師はその中でも突出した暴君でした。

皆さんS教師のことを、竹刀を持ったいかつい男性をイメージされたかもしれませんが、大間違いですよ! 30歳くらいの長身でルックスにも恵まれた女性教師なのだということをお忘れなく。

 

小学5年生の時、担任がS教師になってしまったTさんのさらなる悲劇は、学級委員になったことでした。ある日の朝礼で女子の態度が悪いとかいうイチャモンをつけられ、女子全員を前に立たせて一人ずつビンタをし、今日は授業をやってやらない!と怒鳴って職員室へ戻ってしまったそうです。まだ幼気な女子だったTさんは、何とかして先生の機嫌を直して授業を始めてもらおうと、クラスを代表して謝るために職員室へと向かいました。

 

職員室で自席に座るS教師に必死に謝り続けるも無視され、いよいよ追いつめられたTさんは、なんと発作的に “土下座をして” どうか許して下さい! と叫び続けたそうです。

 

床に頭をこすりつけて謝り続けるTさんを見かねた他の教師が、止めに入ったことで事なきを得た?かと思いきや、その日は女子だけが一日中、全員椅子の上で正座をして授業を受けさせられた…という話を、まるで先週の出来事みたいなテンションで話してくれたTさんの目は、怒りとともに少し潤んでいるようにも見えました。

 

半沢直樹が一世を風靡する何十年も前に、リアルに土下座を実践したTさんは、当時11歳にして体重が激減し、毎朝吐いてから登校していたそうです。ちなみに私もなぜか担任でもないS教師に脇腹を蹴られた記憶があります笑。

 

良いか悪いかは別として、子供の頃は色々な人からひっぱたかれたような気がしますが、その殆どの記憶がおぼろげな中で、納得がいかなかった理不尽な仕打ち的なものについては、自分でも怖いくらいに覚えていたりするのは、人間のさがなのでしょうか。

 

実際私も、土下座まではいかなくても、やはり学級委員だからとか班長だからとかいう理由で、代表して怒鳴られたり叩かれたりした理不尽な痛みの感覚が、記憶の片隅にひっそりとはりついていて、なかなか剥がれてくれません。

 

また授業中に指されて、答えられなかったり間違えたりすると、床に正座させられたり、暴言を吐かれたり…といった教師の緊迫感あふれる授業を一時期経験したことで、今でも講座等で指名されたりすると、間違えたら正座?という発想がほんの一瞬ですが頭をよぎったりします。例えこちらが恐縮するぐらい、腰が低くて優しい講師が相手だとしても。

 

2-30代にかけて、カナダの学校に通ったり様々な国を旅して、沢山の人たちと出会ったり語ったり…といった自分なりの異文化交流をしてきたつもりですが、その動機の5%くらいに、子供時代に築いてしまった負の条件反射的感覚を克服したい、というような潜在的な願望があったのかもしれません。

 

ちなみにS教師は、相変わらずの恐怖政治をその後も20年近く続けたそうですが、とある赴任先の中学校で、生徒からボコボコにされて退職に追い込まれたそうです。

 

 

芥川賞作家の津村記久子さんのエッセイ「くよくよマネジメント」を読むと、パワハラをはじめ、数々の人間関係にご自身が非常に苦しめられてきたというのが、ひしひしと伝わってきます。

 

中でも子供の頃から感じ続けてきた負の感情的なものを “自分の中の子供”と表現し、決して他人にそれらを押し付けることはせず、うまく共生していくしかないと分析するまでに至った思考回路が見事でした。

 

決して何か解決策が得られたり、霧が晴れるような爽快な内容ではないのですが、もがき苦しむ中で相手の心理を必死に分析しながら、自身を立て直してきた人ならではの説得力ある思考は、一読の価値があります。

 

子供の頃の記憶は常に自分の中に石のようにあって、今がよければすべてよし、というわけにもいかないことを、ときどき不思議に感じます。今のわたしのいろいろな行動やものの感じ方に、子供の頃の自分の立場が影響しています。(中略)

実際、子供の頃の経験というのはとても大切なのですが、けれどもそれがすべてなのでしょうか?心の奥底からやってくるその子供を、今の自分の力でなだめたり、説得したり、優しくしてやったりはできないのでしょうか?

 

自分の中の子供は、自分で面倒を見るしかないのです。

 

もう一度子供には戻れない以上、泣き喚く子供、不平不満で爆発しそうな子供は常に自分とともにいて、それはもう仕方のないことです。自分がその子と仲良くしてあげられなければ、いったい誰が仲良くしてあげられるのでしょうか。

 

出典:津村記久子 くよくよマネジメント

 

 

 

卒アルを撮り直したい

数年前、アメリカの心理学者が “卒アル写真で将来はわかる 予知の心理学” という本を出版し、その内容を紹介していたテレビ番組を観て衝撃を受けた記憶があります。

確か大学の卒業アルバム写真を集めて、口角の上がり具合などから笑顔を点数化し、彼らのその後の人生を調査した結果、笑顔で写っていた人達の方が幸福度が高く、寿命まで長くなる傾向があった…みたいな内容だったと思います。

 

身分証の写真なんかも満面の笑みが主流のアメリカでの調査結果とはいえ、とても興味深かったというのもありますが、私の場合はまた別の意味で考えさせられるものがありました。

というのもまず大学の卒業アルバムを持っていない 笑。一応大学は卒業したのですが、以前にブログでも書いた通り、大学4年の後半は帯状疱疹との壮絶な闘いに明け暮れており、外見的にも体力的にも卒アルを撮りに行って笑っている場合じゃなかったので、写っておらず、購入すら叶いませんでした。

 

ならば高校や中学の卒アルまで遡ってみたらどうだろうか。と、この際アメリカの調査からは外れて広げて考えてみたところで、これまた確認するのが不可能なのでした。ちなみに中高時代のアルバムはちゃんと手元にありますよ。そしてしっかり写っています。

 

何だか謎解きみたいな言い回しになってしまいましたが、はぁ?何言ってんの?と思われた方はある意味幸せであり、そりゃそうだ!無理だわな!っと共感してくれた方は、私と同じ境遇かと思われます。笑

某テレビ番組ではありませんが、笑ってはいけなかったからです。

時は平成に入っていて軍国主義でもなかったはずですが、管理教育的な色がかなり強かったとも言われる当時の愛知県だからなのか、とにかく全員が真顔なのです。

自由な校風が売りの高校時代でさえその傾向で、口角をギリギリまであげた、真顔以上笑顔未満の人がかろうじているというレベルで、とにかく歯を見せたり満面の笑みが許されないという、よく考えると不思議な卒アルなのでした。

 

これら個人写真の他に、ユニフォームを着たり楽器を持ったりして撮る、部活ごとの集合写真も卒アルの定番ですよね。個人写真に比べると仲間と一緒だからか、少しだけ柔和な気がする写真が多い中、当時もし(チョコプラの)悪い顔選手権があれば、詐欺の実行犯集団としてエントリーできそうな、明らかにやばい部の写真が一枚載っています。

 

苦楽を共にした女子バレー部の撮影当日のことは今でも鮮明に覚えているのですが、久々の集結にメンバー全員が笑顔で、その直前まで談笑していました。そこにカメラマンがやってきていざ撮り始めようとした瞬間、

「笑顔で写真に写るとは何事だぁ~!!!!!!!!!!」

という、定年間近の副顧問だった女性教師の怒鳴り声が体育館に響き渡りました。その一言が、陽気に包まれていた空気はもちろん、微笑みから詐欺の実行犯の形相へと一変させたのは言うまでもありません。

 

自分で書きながらいったいいつの時代の話やねん!とつっこみたくもなりますが、髪をなびかせて、笑顔はじける野球を繰り広げてくれた今年の甲子園球児を見たりすると、日本も確実に変化してきているのを感じます。

 

とはいえ、免許証やパスポート写真を見せてもらうと、前科何犯ですか?と問いたくなる人が周囲に少なからずいる身としては、何とかならないものだろうか・・・と思ってしまうわけですが、これらの身分証写真も現在はかなり緩和されていて、微笑みレベルまでなら許されている都道府県も多いということを、最近になって知りました。

驚きと同時に、次回の免許証とパスポートとマイナンバーカードの写真は、最大限の微笑みで撮ってやる!などと卒アルのリベンジの如く、なぜか意気込み始めた私なのでした。

 

記憶力の神秘

タオルケットをお腹にかけられ、真剣な眼差しで写っている生後2ヶ月の赤ちゃんの写真を見て、

「この時のこと、はっきり覚えてるんだよね~」

と初めて告白したのは幼稚園の頃だったと思います。素っ裸で寝かされている私に、母がタオルケットをぽんっとお腹にかけてくれた時の感触や、今とは別人のような優しい口調と笑顔で、カメラを構えてだんだんと後ずさっていくその姿を、今でも記憶しているんです!と言ったところで、なかなか信じてもらえません。

 

実際、人生最初の記憶になるのは2-3歳のときに起こった出来事の可能性が高いと言われているそうですし、それ未満にあった出来事は、脳が発達途中のためにうまく記憶できなかったり、記憶されてもうまく呼び出せなかったりするというのが定説のようです。おまけに脳は記憶のすり替えが得意とも言いますし・・・確かに私も、この瞬間以外の2歳くらいまでの記憶は、どれだけ写真を見返しても蘇りません。

 

それはそうと、お盆休みに小学校の同級生の女子5人で約30年ぶりに会いました。久々なんてもんじゃないぶりの再会ということもあって、日付が変わる頃までしゃべり倒したわけですが、子供時代を知る貴重なメンバーならではの醍醐味は、記憶力のフル活用にある気がします。

 

自分のクラスや担任も全く覚えていない人もいれば、他人の分まで覚えている強者までいたり、先生に怒られた話なんかを先週の出来事みたいなテンションで話せる人もいれば、そんな先生いたっけ~?レベルも。

 

そして面白いのが、突かれなければ一生引っ張り出される事はなかったであろう、1ナノグラムくらいのわずかな記憶が、誰かのトークによって鮮やかに蘇ってきたりすると、ひいては脳の神秘さえ感じてしまうのは私だけでしょうか。まぁこれは恥ずかしい記憶なんかにもあてはまるので、ある意味リスキーではありますが。

 

ちなみに脳のMRI検査を受けて異常が無かった話を、2月にこのブログで書いたのですが、実はその時に先生から、異常は無いけれど敢えて何か言うとしたら…と、画像のとある部分を指さしながら意味深に告げられたのでした。

「通常は赤ちゃんの時に消えるはずの線が、2,3本残っているのが不思議で、かなり珍しい」と。

 

勘のいい皆さん。そうなんです! 笑

この線こそが他でもなく、あの赤ちゃんの瞬間記憶が残っている証拠にちがいないっ!! と、もはやめちゃくちゃな思考回路で確信してしまったのは言うまでもありません。

 

 

ファンである作家の朝井リョウさんが、さくらももこさんのファンだと知り、ファンのファンである人の本はぜひ読んでおかなければっ!との思いから手にしたエッセイ「おんぶにだっこ」。

 

幼少期のエッセイなのですが、さくらさんは何と2歳半の頃の記憶から鮮明にあるとのことで、当時の心理描写はもちろん、温度や匂い、家具の配置に至るまで、その詳細な描写に驚かされます。

そしてさくらさん=ちびまる子ちゃんということで、自虐とユーモアあふれる、ぷぷっと笑える明るいイメージを想像して読み始めたのですが、想定外の暗くて切ない内容に、ちょっと狼狽えてしまいました。

 

私は幼い頃、毎日なんらかの不安を抱え、傷つき、悩み、苦しんでいた。心から晴れ晴れとした日など一日もなかった。

いくらふざけて笑っている時でも、心のどこかに暗い部分があった。大人に相談しないまま、黙って悩んでいる事も多かったし、相談してもどうせ解決しないだろうと思って黙っている事も多かった。 

出典:さくらももこ「おんぶにだっこ」 あとがきより

 

思えばちびまる子ちゃんからも、人の心や日常の出来事の機微に触れる描写から、彼女の感受性と表現力の凄みを感じますが、その根底にはずば抜けた記憶力と、一見らしくない暗く鬱屈した幼少期があったのだということを初めて知りました。

 

描かれているエピソード自体は、決して特別なものではなくて、むしろ多くの人が同時期に経験するような、祖父母の死であったり、友達へのちょっとした悪意、決して悪い関係性ではない家族内での孤独だったりするわけですが、そこに人生の機微みたいなものを感じ取る驚異的な感性と記憶力が合わさると、大人になってもここまで暗い影を落とし続けるものなのか・・・などと思わずにはいられない複雑な内容でした。

 

読んだ感想を言葉で伝えるのがこれほど難しい本は初めてかも。なんて思ってしまった作品でしたが、“何を提供したいのか自分でもよくわからない” と、困惑した創作中のさくらさんご本人にかけた、編集者の方の言葉が全てを物語っているのかもしれません。

『言葉で表現しにくい大きな何かを与える作品です。本当に大切な物を今回の作品は含んでいると思いますから、このまま続けて書いて下さい』

 

 

されど読書感想文

前回の記事でセミとウグイスの鳴き声で朝を迎える…などと悠長に話していたのも束の間、最近ではセミ100%のあまりのうるささに叩き起こされ、窓を開けて寝てしまった今朝にいたっては、頭上の網戸にへばりついたその張り切りすぎの声のおかげで、ライブハウスを出た直後みたいな耳の状態で目覚めた私ですが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。

 

世の中の子供たちは夏休みに突入しましたが、大人になってからも “夏休みの宿題“ についての話題で盛り上がることって時々ありますよね。

 

中でもその取り組み方については面白いくらいに人それぞれで、うまく調整しながら毎日コツコツ型が理想だとしたら、8月31日に泣きながら家族総出でやらかすことになる人もけっこういたりして。

かく言う私は、最初の5日くらいで大物(自由研究とか…)以外を超猛スピードで終え・・・まではいいのですが、未来を予想して日記まで書き終えて親を呆然とさせるという、ある意味ヤバい子供でした。

 

当時の心理を今になって分析してみると、一分一秒でも早く心の中から宿題という“ひっかかり”を消し去り、クリアな気持ちで遊び倒したい!という熱意が、常軌を逸していたのだと思います。なので、8月の最終週まで多くの宿題を残しながらも夏休みを楽しんでいる友達の鋼のメンタルを、どこかで羨ましく思っていた気もします。笑

 

そして、夏休み宿題界の大物と言えば、いつの時代も “読書感想文” があげられるのではないでしょうか。(ChatGPTが出現した今後はわかりませんが…)

 

中学2年の時に書いた読書感想文は、私にとって今でも忘れられない特別な思いがあります。遊びがメインの小学生の夏休みから一変、お盆の3日間以外はバレーボール漬けの過酷な日々の中で何とか作成した読書感想文が、まさかの市で最優秀賞に選ばれるという、タナボタ的快挙を成し遂げたのでした。朝礼で賞状と立派な盾まで受け取り、嬉しさの反面、ちょっとした罪悪感を感じていました。

 

というのも、体力はMaxのくせして、未知なる本を最後まで読み切るという気力や忍耐力はゼロという、絶望的に読書が苦手だった私は、テレビドラマで既に内容を知り尽くしていた有名な本を選択することで、じっくり読むことから逃亡したからです。

もちろん、無念の別れが綴られたその実話に対するあふれる熱い思いを、正真正銘、自分の言葉で表現した作文にかわりはないのですが。

 

 

 

「あの子の読書感想文、昔の入選作のパクリだって」

SNSに投じられた学校代表の“読書感想文”盗作疑惑により、学校中が疑心にのみこまれ一人の教師を奈落の底に突き落とす・・・というのは、もちろん私の話の続きなどではなく、月村了衛さんの本『暗鬼夜行』です。

 

“エンタメ界の鬼才が教育現場の圧倒的リアルに迫った学園震撼サスペンス!”と銘打たれているだけあって、一人の悪意を皮切りに、中学校を巡る様々な問題があぶり出され、公立中学のブラック職場ぶりや政治的腐敗などは序の口で、嫉妬、狂気、絶望、疑心暗鬼等々、イヤミス要素が満載の作品ではありますが、ノンフィクションかと途中で錯覚するほどのリアリティさに震撼しました。

 

そして震撼といえば、こうしてブログでおすすめ本の紹介なんかしている今の私を、あの頃の自分が知ったとしたら・・・・・・・・・するだろうな。なんて思ったのでした。

 

 

人生の勝ち組について思うこと

愛知県の都会でもなくド田舎でもない住宅街に住んでいるのですが、ほんの数日前まで、朝起きると北側からはセミ、南側からはウグイスの可愛い鳴き声が聞こえてくるという、何だかシュールな音の交錯を楽しんでいました。

皆さんのブログを読んでいると、自然豊かな田舎から都会の真ん中、それに海外に住まれている方等々、あらためて本当に千差万別で、そうなると入ってくる外の音なんかも、きっと面白いくらいにちがうんだろうなぁ・・・なんてちょっと浸ってみたりして。

 

それはそうと、少し前まで “人生80年”と言われていたのが、いつの間にか“人生100年時代”なんていう、すごいことになってきましたよね。

ポジティブ思考が働けば、より長いスパンで人生設計ができることによって、愛しい人達との時間や楽しい経験をより積み重ねていくことができると考えられるし、ネガティブ思考が働いてしまうと、健康やお金や疫病や年金や仕事や世界平和…etc、もはやキリがないほどの心配事項が浮かんできてしまうわけで。

 

私自身、20歳の時点で小学校の同級生を、事故や病気で5人亡くすという悲しい経験をしたことで、本当にやりたい!と思ったことは、できる限り後回しにしないように心がけて生きてきた感があります。

 

仮に地球が今日爆発するとしたら、気になるドラマの続きが見られないとか、もう一度あの絶品うなぎを食べておきたかったとか、そういう小さな後悔や未練までゼロにするのは難しいにしても、叶わずに退場することが悔やんでも悔やみきれないレベルの、やっておきたい事や行っておきたい場所、会っておきたい人、といった案件に対しては極力その都度クリアしてきたつもりではあります。

 

とは言っても、生きていれば次から次へと欲が出てきてキリがないのも事実なわけで、未来の楽しみとしてとってあることだって・・・やっぱりあるっちゃあるなと、今気づいてしまいました。

 

 

「人生後半、無責任に生きてやる!」なんていう、人によっては怒られそうなブログの題名をつけたのも、長年働いた職場を離れたり、親を看取ったり、読書中毒になったりと、環境も思考も大きな転換期を迎えた自分への叱咤激励と、ともするとズレていきがちな“自分軸”を意識しつづけたいという思いが込められています。

 

近々父の三回忌を控えていて、思考が死生観モードに入っているからなのか 、予定していた記事の内容から大幅にズレてきた上に、ブログ名の説明までし始めた自分が怖くなってきたので 笑・・・ここは仏様に免じて、本を紹介させて下さい 。

 

2021年に99歳で亡くなった瀬戸内寂聴さんが編集長を務めた「寂庵だより」から、晩年10年分の随想をまとめた「遺す言葉」を読みました。

彼女の波乱万丈な人生はあまりにも有名で、その生き方に賛否両論あるのは承知していますが、「わが道こそ」と題して87歳の時に語られた以下の言葉を思う時、周囲がどう思おうと、こういう気持ちでこの世を去ることができる人が、人生の勝ち組なのかもしれない。などと思ったのでした。

 

この世に唯一つしかない自分だと思えば、もったいなくて、自分を粗末になんか出来ない。

 わがままという言葉は、否定的に使われてきて、子供の頃から「わがままを言うな」と叱られてきた。

 しかしつい、うかうかと八十七年も生きてきて、いつ死んでもおかしくない今になってみると、自分の生涯、わがままを通してよかったと悔いはない。

 せっかくの自分というこの世でたった一つの個性を与えられて生きてきたのだから、自分の心の声をよく聴いてやって、したいことをがむしゃらにでも押し通した方が、ああ、生きてきたという実感を味わって死んでゆけるような気がしてきた。

 今更、自分の過去の過失を列挙して、あの時、ああしておけばよかったなど思っても、もはや死も必ず遠からずやってくる今となっては後悔は追いつかない。(中略)

 どんなに用心したって、長い人生には困難辛苦の全く訪れないということはない。

 その時、自分の独自の個性を信じ、自分のゆくべき道に誇りを持って踏みだすことこそ生甲斐というものではないだろうか。

 まぁ、もし今夜死んでも、私はこう生きた自分に不満はない。

 

出典:瀬戸内寂聴 “遺す言葉「寂庵だより」2017-2008より”