人生は諸行無常だと実感

世間はクリスマスで盛り上がっていますが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか?今年は豪雪による被害が各地で出ているようで、自然の猛威に大変な思いをしている方もいらっしゃるかもしれません。

 

そんな私は、前々回に「人生で一番幸せだった日」なんていう題名でクリスマスの思い出の記事を書いただけあって、大好きなクリスマスを今年も楽しく過ごしています!なぁんて言いたいところなのですが、残念ながらそうはいかないのが諸行無常の人生であります。笑

 

今回は暗い話になってしまいそうですがお付き合いいただければ幸いです。

前述したとおり、私は幼少期からクリスマスが本当に本当に大好きでした。特に小学校の低学年頃までは、大好きだった親戚一家が24日の夕方から泊りがけで来てくれる上に、ごちそうやケーキが食べられ、さらにはプレゼントまでもらえ、極めつけは深夜にサンタクロースもやってくる…という幸せのオンパレードに、幼いながらもこの幸せが一生続いて欲しいと願わずにはいられないような特別な2日間でした。

 

その願いも空しく・・・ではないですが、年上のいとこたちが思春期にさしかかったり、私自身もあっという間に部活や勉強に追われる日々がやってきて、幼い頃の特別感が薄れていきました。まぁ成長したわけですからこれは仕方がないですよね。

 

その後、大人になってからも楽しかったり、そうでなかったり…と様々なクリスマスを過ごしてきたわけですが、それでも、そんなでもやっぱりクリスマスや年末にかけての空気感は格別で、何とも言えないソワソワ感も含めて1年で一番好きな季節でした……ほんの2年前までは。

 

2年前のちょうど今頃、先の大好きな親戚であった伯父が闘病の末に亡くなり、同時に父親が非常に残酷かつ不治の病であるという宣告を受けるという、今思い出しても呼吸が浅くなって正気ではいられないような、悪夢みたいな出来事が起こりました。

 

どちらか一つでも乗り越えることができないだろうと思っていた事態が、ダブルになって降ってきたことで、それまでカラフルだった世界の色がモノクロになり、周囲の音も遠くでしか聞こえないような感覚に襲われ、ドラマの演出でしか見たことがないような現象って本当に起こるんだぁ……なんて、どこか他人事のように医師の言葉を聞いていたような気がします。

 

伯父も、そして父もいなくなってしまった世界で迎える2回目のクリスマスは、残念ながらまだカラフルとまではとても言えませんが、もう会えない人たちから幼き日にもらった、数えきれない温かさや優しさが、モノクロのベールを少しずつ溶かしてくれているのではないかと感じる今日この頃ではあります。

 

せっかくのクリスマスの日に “人生は諸行無常” なんていう仏教的な言葉を題名にいれてしまい、我ながら苦笑してしまいますが、やっぱり私にとっては、苦しいときほど言葉の力に救われ、心のやすらぎをもらっています。

 

そしてこれまたやっぱり(笑)、大好きな五木寛之さんのことばの贈り物です。

生まれてきたものは、今向き合っているものは、すべて別れなければならないのだ。そういう気持ちをきちんと持つ……そこから結局、それを惜しむ気持ちが生まれ、惜しむ気持ちから悲しむ気持ちが生まれ、悲しむ気持ちから、いとおしむ気持ちが生まれ、そこから愛が生まれてくる。

人はみな、最後はひとりぼっちの人生を送らねばならない。そして、そのことを深く自覚した人ほど、人間同士の深いつながり、心の通いあう一瞬の楽しさ、ほんのちょっとした共鳴のうれしさに気づくだろう。

出典:五木寛之 ことばの贈り物 より